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わたしのブログ

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続きです。

奉天の衛生兵に「ソ連兵の野郎は、今どこまで来ているのか?」と聞いてみた。「吉林省に入り、四平街がやられているそうだ。もう、時間の問題だ。」
奉天の街は、一段街、二段街という町名になっている。七段町に病院があるそうだ。病院にはいると隊のほうから「馬屋当番詰め所に行ってくれ。」とのことである。早速使うつもりでいる。詰め所で待っていると衛生兵が来て「飯はここにあげてくる。休んでいるように、」いわれた。第一陸軍病院だけである。二階建ての建物で大きい。上海と同じくらいで四、五千人ははいりそうだ。
いろいろな情報を聞いてみたところ、北満方面はソ連軍や満人たちが,・・・・略奪等やりたい放題やっているそうだ。敗戦の経験がないので日本人は護身の方法を知らない。満人女性はなれているので逃げるのが早い。
 ソ連兵は満人も日本人も見分けがつかないのだ。それにソ連兵は前線に衆人兵を駆り出してきて暴れ放題にさせているので大体想像が出来る。彼らは狂気のようになり「日露戦争の仕返しだ。」と言っていたそうだ。日本人はヤポンスキー、中国人はキタイスキーとロシア語ではこの様に言う。毎日のように屍体が営庭に埋められていた。兵隊が次々に死んでいく。昨日は十七、今日は十二体埋めた。私も手伝っていたときのことである。
 もんぺ姿の女性、母親だ。小さな毛布の包みを持って兵隊さんの屍体と一緒に埋めるとき止めるのも聞かず穴に入り毛布をめくりわが子の顔を見て「○○ちゃんあんた一人じゃないんだょ。兵隊さんも一緒だよ。寂しくないね。あんたのお人形も一緒だよ。」オカッパのかわいい女の子で歳は五つくらい。その顔に頬擦り利してないていた。
 衛生兵が「地方人も大勢いるんだ。時間がないよ。早く別れてくれんかなぁ。」ちょっと無常に聞こえるが彼らも大変な忙しさである。泣き伏している母親の手をとり上に上げて土を入れ始めた。母親は「私も一緒に行きたい。」顔は涙でグショグショだった。土に伏して手を合わせ泣き声も声になっていなかった。悲しい母子の別れだ。
 私はこの日より屍体を埋めるのはやめた。見ていられない情景であるからだ。若い兵隊たちも皆死ぬ間際に小さな声で「おっかさん、おっかぁさん。」と母親の名は呼ぶが、天皇陛下や父親の名は言わないそうだ。
 詰め所に帰っていったら桜木と佐藤が着ていた。「何かあったのか?」と聞いてみると「俺たち軍医に聞いておまえのところに来た。これからのことを相談したくてな。」「私はソ連軍が入ってきたら逃げるぞ。このままでは俺たちはシベリア行きだ。お前たちはどうだ。」と言うと桜木は「うまくいくかなぁ?」佐藤は「良し、俺はやる。後は運だよ。」
 そこで三人チャンスを見て脱走することに決めた。ソ連軍近し、と色々情報が入る。「野郎共、きゃがったな、まず武装解除と来るだろう。それまではおとなしいだろう。」それが終わると日本人は無条件降伏、敗戦国民、生命、財産の保証もなく丸裸だ。なんということだろう。赤子の手をひねるようなものだ。
 夕方頃、トラックの上に立って盛んに演説をぶっている日本女性がいた。二十五歳くらいの丸顔の割合美人だった。
「ここにいる兵隊さん,私たちのグループと一緒に逃げてください。私たち、祖先がちと汗を流してとったこの満州。このままではなんと申し訳するのです。私どもは見も心も日本人の皆様に投げ出しております。今すぐ興安嶺にいき馬賊になり、今に目に物をみせてやりたい。」
 なんて言って真剣である。この女についていったら命がいくつあっても足りないと思っていた。この付近にいた男たちは動揺していたようだ。その後収まったか、後は知らない。私は自分で選んだ脱走のプランを考えて機会を窺がっていた。


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